不動産投資のリスク:バブルの良き時代の体験談とバブル崩壊で学ぶ事とは?

ある程度年配の不動産関係者から、今だに1990年代の「バブル」と呼ばれた時代を懐かしむ声、昔話を聞かされる人も多いかもしれません。

不動産バブルとは、1980年代後半から1990年にかけて起こりました。

金融緩和政策の結果、余剰資金が土地投資に向かい、土地などの地値が異常に高騰した現象の事です。

 

バブル期には、将来の土地の値上りを期待して、土地を高く評価。土地が金融機関の担保にもなり、企業は幾らでも銀行から融資が受けられました。

不動産業界だけでなく日本全体が景気が良く、一攫千金を手にする人も多く現れました。

 

不動産業界の人間にとっては、直接、バブルを体験していなくても、不動産バブルは良き時代であったとイメージできます。

 

今回は、不動産業界で長年、会社経営を行う宅建士のヒロさんに不動産バブルについて話してもらいました。

単なる昔話ではなく、バブル崩壊後の現在の不動産業界にいる人にとって、一つの教訓になります。

不動産投資のリスク:バブルの良き時代の体験談とバブル崩壊で学ぶ事とは?

不動産投資のリスクは景気の変動。バブルに騙されるな

不動産バブルの時代は、一瞬で夢のように終わりました。

学べることは、不動産投資のリスクの一つ、景気の変動は自分達ではコントロールできないので怖いです。

 

景気が良いからと積極的に投資をしていても、バブル崩壊であっという間に破産してしまった不動産業者も沢山います。

 

そんな不動産投資のリスクを防ぐ方法は、景気の変動に敏感になりながら自衛するしかないです。

 

しかし、そうは言っても景気の良い「バブル」は一度は体験してみたいものです。

そんな当時のバブル君の華やかな様子から、バブルに騙されず不動産投資をするヒントが見つかるかもしれません。

バブルの頃に活躍した宅建士、バブル君とは?

バブル期の不動産業界の宅建士達は、今では想像できないぐらい景気が良く派手だったらしいですね。

はい、急に儲かって景気が良った人が多かったです。

それが、不動産バブルが崩壊すると、消えてしまった訳ですよね

手堅く真面目に経営していた業者は生き残りましたが、地に足が付かない商売をしていたバブル君は消えましたね

バブル君はどんな人達だったのですか?

ちょっと昔話のようになってしまいますが、このバブル君の特徴を振り返ってみますね。

札束を入れるセカンドバッグは必需品!

当時のバブル君の特徴の1つは、必ずセカンドバッグやクランチバッグと呼ばれるものを持っていました。

それもできるだけ底面積の広い幅広のタイプのものをです。

今では、あまり見かけませんが、そういったスタイルが当たり前でした。

何のために、そんなものを持ち歩いていたかというと、別に文房具やメーク用品などを入れるためではありません。

 

もちろん、そんな中には大事な資料は入りません。

実は現金、それも札束をいれて持ち歩くためなんです。

何のためのお金かと言うと、よさげな話があると、その場ですぐに手付金を相手に渡せるようにです。

それぐらい、物件をめぐる競争は激しかったですし、大して考えなくても、買っちゃえば儲かった時代だったのです。

だから、今では考えられないような、若い営業マンや田舎の不動産屋さんなんかでも、札束の幾つかは持って歩くような時代だったのです。

スーツにベンツ、ロレックスは当たり前!

 今では、宅建士、不動産業者に求められるのは、真面目で誠実なイメージかもしれません。

しかし、この頃は違ってました。

 

少しでも、相手に対して自分を大きく見せることが必要な時代だったのです。

また、そのような虚像のイメージだけでも仕事ができたのです。

 

ちょっと、儲かれば、高級スーツを着て、腕にはコンビのロレックス、そして高級車で登場というのが当たり前でした。

そして、高級車の代表がベンツです。

 

「車で行くから。」という代わりに「ベンツで行くから」という表現が普通だったのです。

そうでなければ、儲かってないように見られる、舐められるという感覚が支配していたのでした。

とにかく、そのモノの値打ちはともかく、どんなものでも価格が高ければ高いほど評価されたのです。

取引が成功すれば、銀座や新地へ!

 そして、取引がうまくいけば、関連業者と、東京なら銀座、大阪なら北新地といったところへ繰り出すのが当たり前でした。

 

今でも、契約が成功した際には、ちょっとした打ち上げに繰り出すことはあるとは思いますが、そんな比ではない、ドンチャン騒ぎでした。

それは、東京や大阪を含む近郊の都市でも言えることでした。

東京や大阪の周りの府県からも、近くのお店は選びません。

わざわざ遠路はるばる銀座や北新地までへと繰り出すのが当たり前だったのです。

不動産で成功するには、とにかく思いっ切り!

 当時、成功するために、一番必要なことは、とにかく思い切りの良さでした。

しかし、この場合の思いっ切りの良さというのは、良い意味ばかりで無いです。

 

悪く言えば、「よく考えなくても、ジャンプできる、飛び込める無謀さ。」みたいなものでした。

そのような異常な状況では、よく考えて慎重すぎる人間は、逆に成果を手にすることは、できませんでした。

 

ただ、この無謀さが吉を出たのは、ほんのバブルの短期間だけです。

バブル崩壊後は、手を広げすぎずに慎重に手堅く経営していた業者が生き残りました。

不動産バブル崩壊に学ぶ事は?

不動産バブルの話は昔話ではなく、ほんの30年少し前の実話です。

 

バブルは、「いつまでも、いい時代が続く、値上がり続ける、儲かり続ける!」というノー天気さが支えた時代でもあったのでした。

 

バブル君は消えた以降も不動産業界には、次々と色々な一発屋のプレーヤーが現れては消えていきました。

 

「どうして、彼らが消えてしまったか?」を考えることには、実は、不動産業界で長く生き延びるためのヒントが隠されているのです。

やっぱり歴史に学ぶことは大切です。

バブル崩壊で多くの業者が消えた理由と対応策

バブル君が消えた原因は、何でしょうか?

まず、自分の返済キャパを超える借金は、しない方が無難です。異常に景気が良い状態は、いつまでも続きません。

儲かっても、舞い上がってはいけないですね

あの時期は、銀行は借り手の返済能力などを気にせずに、幾らでも金を貸してくれました。

しかし政府が、異常に高騰した地価を元の価格に戻すため、地価税の導入(1992年)をすると、不動産バブルは一気に弾けました。

不動産では情報収集力と先を読む力が危機を回避する

最後にヒロさんは、将来を読む情報収集の大切さについても語っていました。

 

バブル崩壊で破綻した有名な不動産経営者と言えば、ウィークリーマンションで一世風靡したツカサグループ・川又三智彦氏です。

 

彼は不動産バブルの崩壊で全てを失い、800億円の膨大な借金を抱えることになりました。

彼は、のちにバブルが崩壊するという的確な将来を読む情報こそが、自分には必要だったと語っています。

 

その一方で、バブル崩壊前の88年、89年に保有不動産を売却して、利益を上げたのが、アパホテルの創始者の元谷氏です。

彼は、1987年10月のブラックマンデーにより欧米で株価が大暴落した時から、危機を察知していました。

 

このように日頃から情報収集のアンテナを立てる必要性もバブル崩壊から教えられます。

将来を的確に読む力こそが、バブル崩壊の明暗を分けました。

 

バブルよ再びという願望はありますか?

甘い汁も吸えたので、思わないでもないですが(笑)、バブルは危険でもあります。

今、東京方面を中心に、オリンピック前の景気で、ミニバブル状態とも言われいますが

歴史にみんな学んでいるので、以前のような極端なバブルにはなっていません。

90年代のようなバブル崩壊は、もう起きないですか?

 

バブル崩壊がなくても、今の日本は少子高齢化、次世代の社会保険や年金の負担増など、将来は楽観視できないです。

不動産業界は、まだ将来性はありますか?

はい、人口1億2千万人以上の日本は、不動産業界は、まだ成長は期待できます。 東京を中心とした都心圏の開発は、外資の進出も止まらず発展は続いてますし。

 

ビザ緩和による外国人労働者の増加などで、不動産業界は活性化しそうですか?

 

これらの動きも新たな不動産の需要として期待できます。

しかし、不動産業界でも能力が無い人や業者は消える厳しい時代が来ます。

 

生き残り年収が上がる人と、消えていく人に2極化されるという事ですね。

はい。お客様のために地道に、改善を続ける人や会社が生き残るのでは無いでしょうか。過去の成功体験に固執せずに、時代に合わせて変化する力が必要です。

 

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